ナショナル・トラスト その2

<The National Trust_2> 昨年、アメリカ合衆国に発するブラック・ライブズ・マター運動が世界的に広まった。イギリスでは、現在の黒人差別問題もさることながら、いや、もしかしたらそれ以上に、過去の帝国・植民地支配や奴隷制への批判が激化し、さまざまな形で表れた。ブリストルの町で、奴隷貿易に関わっていた人物の彫像が群衆により引き倒された出来事のもその一つである。

前回書いたナショナル・トラストの10年計画もそうした中で作成されたものだったが、この内部文書がリークされた翌月の9月に、奴隷制や植民地支配との関係についての調査報告書が発表された。それによれば、ナショナル・トラストが運営する施設のうち、少なくとも93か所が、大西洋奴隷貿易や東インド会社の取引に深く関係した人物や家族のものだった。

全部で110ページ以上もある報告書は、同団体のウェブサイトで全文公開されている。共同執筆者の多くが学術研究者であり、詳細な注もついている。私はこの問題に詳しいわけでもないし、中身の良し悪しを判断することはできないが、権威ある研究調査なのだろう。

歴史の多様な面を明らかにするのは重要であり、特に過去の不都合な真実を正面から取り上げて、公共的な議論の機会を作ることには大きな意味がある。右派のメディアを中心に反発する意見が伝えられたが、こういう調査は行われて然るべきだし、そのこと自体を非難するのは間違っていると思う。

ただ、会員の間で不満が広がり、あるいは違和感を感じる人が増えているのも事実である。というのも、ナショナル・トラストは財政難に苦しんでいるはずで、文化財保存修復の専門家やキュレーターを含む1,200人の職員を解雇し、屋内の展示を減らし、見学時間も縮小し、収益確保のためにイベント会場化するような見通しを立てていた。研究調査のための多額の資金があるなら、なぜそれを回さないのかという批判が出てもおかしくない。

また、調査プロジェクトのリーダーであるレスター大学のコリン・ファウラー教授は、イギリスの地方に多く残る貴族や地主等の大邸宅(カントリーハウス)と、奴隷制や植民地支配との関係を明らかにして、一般の人々の視野を広げたいと、BBCの短いインタビューで説明していた。

しかし、一般人はそれほど無知だろうか。カントリーハウスの主が当時の支配層であり、奴隷貿易や植民地経営と無関係ではありえなかったことくらい、誰でも知っている。そしてそれが、現在ならばとても正当化できるものではないということも、(ごく少数の狂信的な愛国主義者を除いて)反論する人などいない。

イギリス人は概して歴史好きで、過去のことに関心が深い。この国にいると、あらゆることに歴史があると感じる。大抵のことは、ちょっと調べれば来歴が分かるし、人に何かを尋ねれば、まずその由来から話が始まることが多い。そしてその話には、必ずといっていいほど、ダークな部分が含まれる。ありのままで、リアルだ。だから、第2次世界大戦時の首相のチャーチルや、作家のキプリングが帝国主義者だったことなど、報告書でわざわざ指摘されなくとも皆よく分かっている—それが、周囲のイギリス人と付き合っていて感じる私自身の印象である。

アウトドア計画にしろ、植民地支配との関連報告書にしろ、多くの人がナショナル・トラストに懐疑的になっているのは、これまで自分たちが親しんできた歴史や文化を、あたかもまるごと不正であるかのように「上から目線」で退けられていると感じるからだ。その感情を、保守的だとか、時代の流れに乗れてないとかの言い方でまとめるのは簡単かもしれないが、それほど単純なことではないように思う。

ナショナル・トラスト

<The National Trust> 去年の8月、ナショナル・トラストの内部文書である10年間の運営計画がリークされた。それによれば、同団体は、歴史的建造物よりも屋外の娯楽活動にサービスの重心を移していく予定だという。

ナショナル・トラストは正式名称を「歴史的名所と自然景勝地のためのナショナル・トラスト」と言い、自然の魅力を伝えるのも目的の一つにしている(ドーバーズ・ヒルもその一つ)。しかし一番の「売り」は、ビジターが昔の貴族の城館や富豪の邸宅を訪れて中を見学し、かつての時代の雰囲気を体験できることではないかと思うが、それを徐々に縮小していこうというのだ。代わって、ウォーキングや、アウトドアスポーツの場を広げ、建物内部を開放する場合でもパーティ等のイベント向けにすることなどを提案している。(”National Trust to focus on outdoors and hold fewer exhibitions in properties, ten-year strategy reveals“)

なぜこのようなことになったのか。大きな理由は財政難である。コロナで観光産業全体が打撃を受け、ナショナル・トラストも例外ではなく、事業継続のために新しいアイデアが必要なのだろう。それは理解できる。

しかしなぜ、せっかくの歴史的遺産ではなく、アウトドアなのか。人はスポーツをしたくてナショナル・トラストの施設を訪れるのではないだろうに。

実は、アウトドアや、その他「歴史」と無関係なイベントで客を呼び込もうとする姿勢は、しばらく前からのものらしい。リークされた文書にもあるとおり、「時代遅れの邸宅見物は、根強いファンはいるが、魅力が薄れてきている」というのが現在のナショナル・トラストの見解である。そのため、伝統的なイタリア風庭園に子供向けの遊具を設置したり、古の家具調度をどけてプラスチックのクッションを床に置いたりといった「工夫」を行っているのだ。

単なるレジャー産業なら、このような試みも問題ないかもしれない。しかしナショナル・トラストは、全国550万人という莫大な数の会員からの会費を主な収入源とし、歴史的遺産の保護・継承を使命としている公共的な団体である。会員は、その使命に賛同してナショナル・トラストに会費を払うのであり、歴史や伝統に触れたくてナショナル・トラストの施設を訪れるのである。実際、方針の転換に対して会員からの批判は強まっているようで、「一般市民は歴史よりもウォーキングに興味があると見くびっているのか」といった不満の声も出ている。内部文書のリークの後、世間の非難を受けたナショナル・トラストは、これまでのようなビジターサービスも引き続き重視していくと慌てて声明を出した。(”National Trust denies dumbing down in drive for ‘new audiences’“)

しかし、ナショナル・トラストの方針転換には別の意図も働いていると、多くの人が疑っている。それが歴史の修正の問題である。

カルチャー・ウォー

<Culture War> 前回の記事で、ドーバーズ・ヒルはナショナル・トラストが管理していると書いた。ナショナル・トラストは、19世紀に発足して以来、自然の景勝地や歴史的建造物などを公共の財産として保護し、広く人々に楽しんでもらうために管理・運営している非営利団体である。行き過ぎた開発や目先の経済的事情に振り回されることなく、国民の貴重な遺産を守り、後世に伝えていくという理念と活動は世界的に評価されてきた。多くの国でイギリスをモデルとした運動や事業体が生まれ、周知のとおり日本でも、1960年代にナショナルトラスト運動が始まり、全国各地に普及している。

この一見して非政治的な文化事業が、現在、激しい論争に巻き込まれている。

ナショナル・トラストだけではない。イギリス国内の博物館や美術館、文化遺産団体、さまざまな彫像や記念碑、地名、施設・組織名、大学の講座、メディアのコンテンツ、果ては一つの村まるごとなど、およそ「文化」や「歴史」に関係する数多くの事業や活動、表現、存在自体が、厳しい批判にさらされているのだ。

理由は広範で複雑だが、批判する側の主張を一言でまとめればこうなる。つまり、上記のような活動は「奴隷制や植民地支配などの歴史の負の側面を無視した白人中心史観の上に立っており、正す必要がある」というのだ。そして実際に多くの団体が、そうした主張を受け入れて、内容を修正したり、なくしたりする動きを見せている。一方、これに対して、「そのような修正や否定は歴史の恣意的な書き換えであり、不当である」と抵抗する反対論も次第に強まっている。

今日の新聞によれば、文化大臣が、ナショナル・トラストを含む歴史文化事業の25の団体を集めて会議を開くことを提案した。歴史の修正の「やり過ぎ」を止めるよう指摘するものになるらしい。一部の学者たちは、政治介入だとしてこれに反発している。(”Don’t airbrush British history, government tells heritage groups“)

歴史観の対立は、どこの国でも、どの時代でも見られ、その意味で珍しいことではない。しかし今のイギリスで起きていることは、きわめて規模が大きく、多種多様な問題を含んでいて、「カルチャー・ウォー(文化戦争)」と呼ぶのがふさわしい。イギリス人でも、黒人でも、旧植民地出身でもない自分もまた、無関係なふりをしてはいられないように感じるので、このブログに少しずつ書き、考えをまとめていきたいと思っている。

ドーバーズ・ヒル

<Dover’s Hill> うちから車で20分ほどの場所に、ドーバーズ・ヒルと呼ばれる丘がある。現在、ナショナル・トラストが管理しているが、ビジター用の設備などはなく、駐車場も入場も無料。入場時間は「Dawn to dusk(夜明けから日没まで)」とのことだが、無人のゲートはいつでも自由に出入りできる。

Dover’s Hill。いくつもあるゲートの一つ

眺めがよいので時々散歩しに来る場所だが、今日は日中も氷点下のまま。風が強く、弱々しい日差しもすぐに陰ってしまった。1時間も歩くと体が凍りそうになってきたので、駆け足で車に戻った。

北の方角を望む。およそ45キロ先にバーミンガムがある。
地面に残る雪はカチコチに凍っていた。
まだ午前中なのに、薄暗い・・・

今日のような日は荒涼たる草地にしか見えず、人影もまばらだが、実はここ、夏はオリンピックが開かれる場所なのだ。もちろんIOC主催の五輪とは無関係だが、歴史的に見ればこちらの方が由緒正しいと言えなくもない。

今から400年以上前、古代ギリシャのオリンピック競技会が途絶えてから1200年以上経った1612年に、新たなオリンピックが初めてこの丘で開かれた。組織したのはロバート・ドーバー(Robert Dover)という法律家で、古代オリンピックに着想を得て、地元の伝統的な祭りを青年たちが健全に楽しめる運動競技会へと改編したのである。(そう聞くと、「伝統的な祭り」というのが大体どのようなものだったのか、想像できるというものだ。)ドーバーズ・ヒルの名前は彼に由来する。

ドーバーのオリンピックには国王ジェームズ1世や豪商たちの後援がつき、毎年盛大に催された。数ある競技の中でも目玉は「脛蹴り」。2人の競技者が足のスネを蹴り合う。そのほか、綱引き、競走、競馬、そしてダンスや吟唱や仮面劇なども行われた。賑わいの様子は、ここから15キロ北にあるストラットフォード・アポン・エイボンの町にも伝わり、シェークスピアの関心を引いたという。

このオリンピックは、その後、内戦(1642~51年)や、折々の財政難、戦争、家畜の伝染病などのさまざまな理由で中断されながらも、連綿と続けられ、1960年代に地元民の熱意により現代的なイベントとして復活した。現在は「コッツウォルズ・オリンピック」としてほぼ毎年開催されている。昨夏も開かれたが、今年はコロナのために中止。しかし来年は410周年記念の特別大会として6月3日(金)に開催予定だそうだ。

参考サイト:Robert Dover’s Cotswold Olimpick Games

ザ・マン・インスティテュート

<The Mann Institute> モートン・イン・マーシュに、ロンドン/オックスフォード方面から車で訪れると、町の中心に近づくにつれ、いくつかの歴史的建造物が目に入る。ザ・マン・インスティテュートもその一つである。

The Mann Institute

1891年に労働者のクラブ(社交場・教育施設)として設立されたもので、当初は集会ホール、読書室、ビリヤード室などが入っていた。2階から上の部分は、夏の間、恵まれない女性のための宿泊施設として慈善団体が使用していたという。

ザ・マン・インスティテュートの名称は、マン(Mann)家に由来する。この建物を建てたエディス・マン(Edith Mann)という女性は、医師ジョン・マン(John Mann)の娘であり、また会衆派(プロテスタントの一派)の牧師だった同名のジョン・マンの孫娘でもあった。父ジョンの生家を、おそらくは全面改築し、労働者のための公共施設にしたものが今も残っているというわけだ。現在は、ある建築事務所のオフィスになっている。

町のシンボル的な建物の一つであるが、私が特に気に入っているのは、幹線道路に面した南壁の大きな扉の上部に刻まれている一つの文である。

南側の壁。中央にJohn Mannの飾り板、左端の白い扉の上にRuskinの一文を記した石板がはめこまれている。
医師 John Mannを記念する飾り板 
“EVERY NOBLE LIFE LEAVES THE FIBRE OF IT INTERWOVEN FOR EVER IN THE WORK OF THE WORLD
RUSKIN”

これは、19世紀の美術評論家・社会思想家、ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819-1900)が著した植物に関する本の中に出てくる一文である。日本語に訳せば、「あらゆる尊い命が、微小な繊維を残しながら、この世界に永々と紡ぎ込まれていく」というような意味である。

この石板が、この建物に最初からはめ込まれていたのかどうかは分からない。しかしもしもそうだとすれば、労働者クラブを訪れた男たちがきっと目にしていただろうし、不遇の女たちも、夏のひと時をここで過ごしながら、この一文を見上げることもあっただろう。彼ら・彼女らは文字が読めなかったかもしれないが、誰かが代わりに読み上げるのを聞き、ふと心を揺さぶられた人もいたのではないかと思う。

参考資料:
Mark Turner, Moreton-In-Marsh through Time (Stroud, Gloucestershire: Amberley Publishing, 2018)

John Ruskin, PROSERPINA. Studies of Wayside Flowers, While the Air was Yet Pure Among the Alps, and in the Scotland and England Which My Father Knew, Volume 1 (New York: John Wiley & Sons, 1888)

ワクチンはいつ受けられるか

<When Will I Get the Vaccine?> 前回からだいぶ間が空いてしまった。仕事(在宅で翻訳)と、子供のホームスクーリングの手伝いと、家族3人の3度の食事の支度で、気がつくと一日が終わってしまう。もう2月も半ばに近い。

ロックダウン生活も6週目になった。自分や家族が健康である限りは、それほど苦痛ではないもの、不要不急の外出ができず、友人とも会えず、24時間家の中で家族と過ごし続ける状態が少々しんどくなってきた。昨日も今日も似たような日々の繰り返し。食卓の会話も、誰もネタがないので続かない。一日中やることはあり忙しいので、退屈というのとは違うが、張り合いがなくて、単調すぎて、うんざりする。まだしばらくは我慢するしかなさそうだが、つい明るい希望を探したくなる。

イギリス国内のワクチン接種が順調に進んでいることは一つの救いだ。BBCのニュース記事によれば、今日までに1300万人以上が接種を受けたそうだ。最もリスクが高い70代以上の高齢者、介護施設居住者と職員、重大な基礎疾患のある人たちへの接種があと一週間ほどで完了する予定で、その後は順次対象年齢が下がっていき、5月初めまでに50代以上が、そしてさらに警察官や学校教員が接種を受けられるようになるという。先月政府が発表した計画どおりである(「ワクチン接種キャンペーン」)。

ワクチン接種済みの集団が増えていっても、ロックダウンやその他の規制が緩和・解除されるかどうかはまた別の問題だが、それでも、ワクチンさえ打てば少しは自由になれるような気がしてしまう。私は50代前半なので、本格的な春が訪れる5月には免疫力が大幅にアップしているはず。ほとんど元の生活に戻れるのではないか・・・と、祈るような気持ちでいる。