シンガポール・オン・テムズ

<Singapore on Thames> ブレグジット後のイギリスはどのような国になるのか。それを表す言葉として、「テムズ川のシンガポール」という言い方をよく目にする。EUの煩雑な規制に縛られることなく自由に減税、規制緩和、行政手続きの簡素化を実施し、企業活動を大いに振興して、シンガポールのようなグローバルで活気ある自由市場国家を築いてくという発想である。

一方、ブレグジットに反対してきた立場からすれば、「テムズ川のシンガポール」は深い幻滅の表現である。EUの環境・労働規制が離脱により次々と破棄され、むき出しの資本主義の国へとなり下がるだろうとの見立てがそこにある。またはシンガポールのように成功すればまだましで、実際にはそう上手くいくわけがない。第一、そのように規制の緩い競争市場がすぐ隣に出現するのをEUが許すはずもなく、さまざまな制裁措置をとってくるだろうから、いずれにせよイギリスに未来はないとの主張も聞かれる。

最初に誰が言い出したのかははっきりしないが、この「テムズ川のシンガポール」(他に「欧州のシンガポール」、「欧州沖のシンガポール」などとも)は、あまり上手いネーミングとは思えない。そもそもシンガポールは人口600万に満たない都市国家である。普通選挙は行われているものの、事実上一党独裁であり、議会の権限も弱い。だからこそ可能になっている経済体制であって、どちらの立場に立つにせよ、イギリスの将来像として引き合いにだすのは無理がある。

そして何より、この言い方はロンドンしか見ていない。「テムズ河畔(のロンドン)=イギリス」ではない。ロンドンだけシンガポールのように繁栄しても意味がないし、ロンドン(とりわけ金融街シティ)の盛衰だけ心配されても、地方に住む我々としては困るのだ。

とはいえ、シンガポールのように開放政策をとりながら、経済、投資、貿易、イノベーション、ハイテク、教育、医療、生活の質、一人当たりGDP等々で目覚ましい成果をあげていこうというのが「テムズ川のシンガポール」の積極論者の言いたいことなのだろうし、それが全国津々浦々まで実現するならば、確かに一つのモデルになるだろう。しかしやはり現実的に考えれば飛躍しているので、「イメージ的にそういうこと」程度に受け取っておけばいいのかもしれない。

その一方、悲観論者が言うように、離脱後のイギリスが経済または社会的公正の面で衰退する運命にあると決めつけるのは間違っている。この国にとって本当に必要なことならば、EUを当てにせず自力で実現していけばいいのであって、そのための道筋はいくらでもあると私は思う。