火曜日のマーケット

<Tuesday Market> イギリスではロックダウンの解除が段階的に進んでいる。昨日から食料品店以外の店も営業を再開できるようになり、モートン・イン・マーシュの屋外マーケットも復活した。毎週火曜日に開かれるこの定期市は、1月初旬にロックダウンに入ってからは食品を扱う2、3の屋台だけ出ていることもあったが、買い物客もほとんどおらず閑散としていた。

Tuesday Market in Moreton in Marsh

今日はお天気がよかったこともあり、ハイストリートが久しぶりに賑やかになった。この町にしてはけっこうな人出である。

写真のとおり、木々は新緑の芽吹きも見られず、まだまだ春らしい雰囲気とは言い難い。日差しは明るくても気温が低いので(今朝も氷点下)、厚手のコートが手放せない。しかし冬眠のようなロックダウンからようやく抜け出て、元の生活に少しずつ戻り、やれやれと大きく伸びをしている気分だった。

この火曜日のマーケットは歴史が古く、13世紀前半にまで遡る。1226年に当時の国王ヘンリー3世から、週に一度だけ市を開く許可が与えられ、モートン・イン・マーシュは正式にマーケットタウンになった。その後はもちろん盛衰があり、今回のパンデミックのように通常営業が中断された時期もあったが、完全に消滅することはなく今日まで続いている。5年後の2026年は800周年となる。

観光客向けの情報では、「コッツウォルズ地方最大のマーケット」と宣伝されることも多い。実際には、安物のこまごまとした日用品や食料品が中心で、気の利いたお土産を探そうと思って来てもがっかりするだろう。とはいえ、近くに便利なショッピングセンターなどがない地元民にとっては、貴重な定期市である。今日は買わなかったが、ある定番屋台の名物ポークパイはとても美味しい。来週また行ってみよう。

ロックダウンから1年経ち・・・

<One Year after the First Lockdown> 去年の3月23日に最初のロックダウンに突入してから1年以上が経った。あの頃、イタリアを始めとするヨーロッパで感染が拡大し、各国で次々と移動の制限が実施されていた。そしてイギリスでも感染者が増えてきたので、やっと本格的に対策が取られるようになったのだ。最近、政府がロックダウンをもっと早くに始めていれば、その後の情勢はこれほどひどくならなかったはずだという批判が多く出てきている。確かにそうかもしれない。しかし1年前はまだ、一般人の間でそれほど切迫感はなかった。あれより早く実施していても、おとなしく従う人はほとんどいなかったのではないかと思う。

誰もが内心、ロックダウンなど大袈裟なと思いつつ、一時的な措置なら仕方ないと渋々従ったのだ。4月半ばのイースターの後には子供の学校も再開するんじゃないかと、私も最初は思っていた。マスクをしている人もいなかったし、そもそもマスクを置いている店などなかった。自分や近親者が感染する恐れよりも、スーパーが品薄になり、トイレットペーパーが買えなくなるという噂の方が、はるかに気がかりだった。

しかしこの1年で世界は一変した。イギリスでは今日現在、コロナで亡くなった人の数は累計約13万人に上っている。NHSが崩壊寸前であることや、現場の医師や看護師も感染して亡くなっていることが日々報じられてきた。その一方で、ロックダウンやさまざまな制限が続けば、企業は倒産し、失業者があふれ、国家の債務も膨れ上がる。2011年1月からいよいよブレグジットが現実化するのだから、さっさと経済を再開させないと取り返しのつかないことになる・・・という主張も常にあった。とはいえ、現実に感染はどんどん拡大し、重症者や死者が日に日に増えている。経済活動を元に戻そうにも、とてもそうできる状況ではない。

1年間のこういう事態を経て、人々の意識も大きく変わった。「マスクはイギリスの文化じゃない」などとを言う人はもういない。そして、ワクチンに対する懐疑論者も、以前はかなりいたらしいが、ほとんど聞かなくなった。むしろ大多数の人が予防接種を心待ちにし、有難く注射してもらっている。これまでに2,800万人、成人全体の半数以上が少なくとも初回のワクチンを受けたという。接種してもらえば自由になれる、コロナが怖くなくなると、誰もがワクチンに希望の光を見ている。

でも逆に言えば、もしもこれでロックダウンが解除されず、通常の生活に戻ることがさらに先延ばしになった場合、人々の落胆や驚愕や怒りはとてつもないものになるだろう。

ところで、私は月曜日にワクチンを打ってもらってから今日で3日であるが、幸いなことに何の副反応・副作用も出なかった。夫の方は、接種の翌日、猛烈な眠気に襲われて昼間から何時間も爆睡していた。人によっては発熱したり頭痛がしたりすることもあるらしい。接種後、看護師さんがくれたアストラゼネカ製ワクチンの説明書を改めて読んでみると、もともと身体にある免疫システムを促進する薬であると書いてある。私は実は、倦怠感どころか、逆に食欲が増していつも以上に元気になったように感じたのだが、ひょっとするとそれは副作用だったのだろうか??

ワクチン接種

<Vaccinated> 今朝、ついにワクチンを接種してもらった。北部コッツウォルズ病院というNHSの病院が近所にあり、そこに予約の時間に出向いて、待たされることもなくスイスイと注射してもらった。筋肉注射なのでちょっと痛いかも?と想像していたが、ほとんど感じないほどで、あっけないくらい簡単だった。

北部コッツウォルズ病院(North Cotswolds Hospital)

ワクチンはアストラゼネカ製である。ここしばらく、欧州各国から血栓の副作用を懸念する声が上がり、つられてイギリスでも不安が広まって、接種を延期する人や、違うメーカーの薬を希望する人が増えていたらしい。しかし開発者であるアストラゼネカ社とオックスフォード大学、イギリスの医薬品規制機関であるMHPR(医薬品・医療製品規制庁)、スコットランド自治政府、WHO(世界保健機関)、EMA(欧州医薬品庁)がそろいもそろって、血栓発症との因果関係は立証できず、ワクチンは安全だと言っているのだから、恐れる必要はないのだろう。

今回受けたのは第1回目の接種で、4~12か月以内に2回目の接種の案内がくるという。つまり私の場合、遅くとも6月中には全2回の接種を終えられる予定である。ワクチンを打っても100パーセント、コロナにかからないわけではないけれど、重症化する率が大幅に下がるとのこと。アメリカ合衆国とチリ、ペルーで実施された最新の大規模調査では、感染予防の効果は80パーセント、重症化予防は100パーセントという結果が出たと、今日の新聞に出ていた(”US trials prove safety of Oxford-AstraZeneca Covid vaccine“)。

1月に開始したイギリスのワクチン接種キャンペーンは、これまできわめて順調に進ん時できた。このペースでいけば、政府の当初の予定を前倒しして、6月初旬には全成人(18歳以上)に少なくとも1回のワクチン接種が完了する予定だった。しかし、ワクチン生産国の一つであるインドで供給の遅れが生じ、さらにEUがイギリス向けのワクチンを禁輸する恐れが出てきたため、予定が8月頃までずれこむ可能性が出てきた。

しかもヨーロッパでは、EU・各国政府のワクチン政策の無残な失敗のため、感染が引き続き拡大している。大陸でも同じように収束していってくれなければ、その波は結局イギリスにも及び、せっかく下がってきた感染率も再び上昇してしまう。自分が住んでいる国だけ上手くいけばいい、という話ではないと改めて感じる。


ナショナル・トラスト その2

<The National Trust_2> 昨年、アメリカ合衆国に発するブラック・ライブズ・マター運動が世界的に広まった。イギリスでは、現在の黒人差別問題もさることながら、いや、もしかしたらそれ以上に、過去の帝国・植民地支配や奴隷制への批判が激化し、さまざまな形で表れた。ブリストルの町で、奴隷貿易に関わっていた人物の彫像が群衆により引き倒された出来事のもその一つである。

前回書いたナショナル・トラストの10年計画もそうした中で作成されたものだったが、この内部文書がリークされた翌月の9月に、奴隷制や植民地支配との関係についての調査報告書が発表された。それによれば、ナショナル・トラストが運営する施設のうち、少なくとも93か所が、大西洋奴隷貿易や東インド会社の取引に深く関係した人物や家族のものだった。

全部で110ページ以上もある報告書は、同団体のウェブサイトで全文公開されている。共同執筆者の多くが学術研究者であり、詳細な注もついている。私はこの問題に詳しいわけでもないし、中身の良し悪しを判断することはできないが、権威ある研究調査なのだろう。

歴史の多様な面を明らかにするのは重要であり、特に過去の不都合な真実を正面から取り上げて、公共的な議論の機会を作ることには大きな意味がある。右派のメディアを中心に反発する意見が伝えられたが、こういう調査は行われて然るべきだし、そのこと自体を非難するのは間違っていると思う。

ただ、会員の間で不満が広がり、あるいは違和感を感じる人が増えているのも事実である。というのも、ナショナル・トラストは財政難に苦しんでいるはずで、文化財保存修復の専門家やキュレーターを含む1,200人の職員を解雇し、屋内の展示を減らし、見学時間も縮小し、収益確保のためにイベント会場化するような見通しを立てていた。研究調査のための多額の資金があるなら、なぜそれを回さないのかという批判が出てもおかしくない。

また、調査プロジェクトのリーダーであるレスター大学のコリン・ファウラー教授は、イギリスの地方に多く残る貴族や地主等の大邸宅(カントリーハウス)と、奴隷制や植民地支配との関係を明らかにして、一般の人々の視野を広げたいと、BBCの短いインタビューで説明していた。

しかし、一般人はそれほど無知だろうか。カントリーハウスの主が当時の支配層であり、奴隷貿易や植民地経営と無関係ではありえなかったことくらい、誰でも知っている。そしてそれが、現在ならばとても正当化できるものではないということも、(ごく少数の狂信的な愛国主義者を除いて)反論する人などいない。

イギリス人は概して歴史好きで、過去のことに関心が深い。この国にいると、あらゆることに歴史があると感じる。大抵のことは、ちょっと調べれば来歴が分かるし、人に何かを尋ねれば、まずその由来から話が始まることが多い。そしてその話には、必ずといっていいほど、ダークな部分が含まれる。ありのままで、リアルだ。だから、第2次世界大戦時の首相のチャーチルや、作家のキプリングが帝国主義者だったことなど、報告書でわざわざ指摘されなくとも皆よく分かっている—それが、周囲のイギリス人と付き合っていて感じる私自身の印象である。

アウトドア計画にしろ、植民地支配との関連報告書にしろ、多くの人がナショナル・トラストに懐疑的になっているのは、これまで自分たちが親しんできた歴史や文化を、あたかもまるごと不正であるかのように「上から目線」で退けられていると感じるからだ。その感情を、保守的だとか、時代の流れに乗れてないとかの言い方でまとめるのは簡単かもしれないが、それほど単純なことではないように思う。

ナショナル・トラスト

<The National Trust> 去年の8月、ナショナル・トラストの内部文書である10年間の運営計画がリークされた。それによれば、同団体は、歴史的建造物よりも屋外の娯楽活動にサービスの重心を移していく予定だという。

ナショナル・トラストは正式名称を「歴史的名所と自然景勝地のためのナショナル・トラスト」と言い、自然の魅力を伝えるのも目的の一つにしている(ドーバーズ・ヒルもその一つ)。しかし一番の「売り」は、ビジターが昔の貴族の城館や富豪の邸宅を訪れて中を見学し、かつての時代の雰囲気を体験できることではないかと思うが、それを徐々に縮小していこうというのだ。代わって、ウォーキングや、アウトドアスポーツの場を広げ、建物内部を開放する場合でもパーティ等のイベント向けにすることなどを提案している。(”National Trust to focus on outdoors and hold fewer exhibitions in properties, ten-year strategy reveals“)

なぜこのようなことになったのか。大きな理由は財政難である。コロナで観光産業全体が打撃を受け、ナショナル・トラストも例外ではなく、事業継続のために新しいアイデアが必要なのだろう。それは理解できる。

しかしなぜ、せっかくの歴史的遺産ではなく、アウトドアなのか。人はスポーツをしたくてナショナル・トラストの施設を訪れるのではないだろうに。

実は、アウトドアや、その他「歴史」と無関係なイベントで客を呼び込もうとする姿勢は、しばらく前からのものらしい。リークされた文書にもあるとおり、「時代遅れの邸宅見物は、根強いファンはいるが、魅力が薄れてきている」というのが現在のナショナル・トラストの見解である。そのため、伝統的なイタリア風庭園に子供向けの遊具を設置したり、古の家具調度をどけてプラスチックのクッションを床に置いたりといった「工夫」を行っているのだ。

単なるレジャー産業なら、このような試みも問題ないかもしれない。しかしナショナル・トラストは、全国550万人という莫大な数の会員からの会費を主な収入源とし、歴史的遺産の保護・継承を使命としている公共的な団体である。会員は、その使命に賛同してナショナル・トラストに会費を払うのであり、歴史や伝統に触れたくてナショナル・トラストの施設を訪れるのである。実際、方針の転換に対して会員からの批判は強まっているようで、「一般市民は歴史よりもウォーキングに興味があると見くびっているのか」といった不満の声も出ている。内部文書のリークの後、世間の非難を受けたナショナル・トラストは、これまでのようなビジターサービスも引き続き重視していくと慌てて声明を出した。(”National Trust denies dumbing down in drive for ‘new audiences’“)

しかし、ナショナル・トラストの方針転換には別の意図も働いていると、多くの人が疑っている。それが歴史の修正の問題である。

カルチャー・ウォー

<Culture War> 前回の記事で、ドーバーズ・ヒルはナショナル・トラストが管理していると書いた。ナショナル・トラストは、19世紀に発足して以来、自然の景勝地や歴史的建造物などを公共の財産として保護し、広く人々に楽しんでもらうために管理・運営している非営利団体である。行き過ぎた開発や目先の経済的事情に振り回されることなく、国民の貴重な遺産を守り、後世に伝えていくという理念と活動は世界的に評価されてきた。多くの国でイギリスをモデルとした運動や事業体が生まれ、周知のとおり日本でも、1960年代にナショナルトラスト運動が始まり、全国各地に普及している。

この一見して非政治的な文化事業が、現在、激しい論争に巻き込まれている。

ナショナル・トラストだけではない。イギリス国内の博物館や美術館、文化遺産団体、さまざまな彫像や記念碑、地名、施設・組織名、大学の講座、メディアのコンテンツ、果ては一つの村まるごとなど、およそ「文化」や「歴史」に関係する数多くの事業や活動、表現、存在自体が、厳しい批判にさらされているのだ。

理由は広範で複雑だが、批判する側の主張を一言でまとめればこうなる。つまり、上記のような活動は「奴隷制や植民地支配などの歴史の負の側面を無視した白人中心史観の上に立っており、正す必要がある」というのだ。そして実際に多くの団体が、そうした主張を受け入れて、内容を修正したり、なくしたりする動きを見せている。一方、これに対して、「そのような修正や否定は歴史の恣意的な書き換えであり、不当である」と抵抗する反対論も次第に強まっている。

今日の新聞によれば、文化大臣が、ナショナル・トラストを含む歴史文化事業の25の団体を集めて会議を開くことを提案した。歴史の修正の「やり過ぎ」を止めるよう指摘するものになるらしい。一部の学者たちは、政治介入だとしてこれに反発している。(”Don’t airbrush British history, government tells heritage groups“)

歴史観の対立は、どこの国でも、どの時代でも見られ、その意味で珍しいことではない。しかし今のイギリスで起きていることは、きわめて規模が大きく、多種多様な問題を含んでいて、「カルチャー・ウォー(文化戦争)」と呼ぶのがふさわしい。イギリス人でも、黒人でも、旧植民地出身でもない自分もまた、無関係なふりをしてはいられないように感じるので、このブログに少しずつ書き、考えをまとめていきたいと思っている。

ドーバーズ・ヒル

<Dover’s Hill> うちから車で20分ほどの場所に、ドーバーズ・ヒルと呼ばれる丘がある。現在、ナショナル・トラストが管理しているが、ビジター用の設備などはなく、駐車場も入場も無料。入場時間は「Dawn to dusk(夜明けから日没まで)」とのことだが、無人のゲートはいつでも自由に出入りできる。

Dover’s Hill。いくつもあるゲートの一つ

眺めがよいので時々散歩しに来る場所だが、今日は日中も氷点下のまま。風が強く、弱々しい日差しもすぐに陰ってしまった。1時間も歩くと体が凍りそうになってきたので、駆け足で車に戻った。

北の方角を望む。およそ45キロ先にバーミンガムがある。
地面に残る雪はカチコチに凍っていた。
まだ午前中なのに、薄暗い・・・

今日のような日は荒涼たる草地にしか見えず、人影もまばらだが、実はここ、夏はオリンピックが開かれる場所なのだ。もちろんIOC主催の五輪とは無関係だが、歴史的に見ればこちらの方が由緒正しいと言えなくもない。

今から400年以上前、古代ギリシャのオリンピック競技会が途絶えてから1200年以上経った1612年に、新たなオリンピックが初めてこの丘で開かれた。組織したのはロバート・ドーバー(Robert Dover)という法律家で、古代オリンピックに着想を得て、地元の伝統的な祭りを青年たちが健全に楽しめる運動競技会へと改編したのである。(そう聞くと、「伝統的な祭り」というのが大体どのようなものだったのか、想像できるというものだ。)ドーバーズ・ヒルの名前は彼に由来する。

ドーバーのオリンピックには国王ジェームズ1世や豪商たちの後援がつき、毎年盛大に催された。数ある競技の中でも目玉は「脛蹴り」。2人の競技者が足のスネを蹴り合う。そのほか、綱引き、競走、競馬、そしてダンスや吟唱や仮面劇なども行われた。賑わいの様子は、ここから15キロ北にあるストラットフォード・アポン・エイボンの町にも伝わり、シェークスピアの関心を引いたという。

このオリンピックは、その後、内戦(1642~51年)や、折々の財政難、戦争、家畜の伝染病などのさまざまな理由で中断されながらも、連綿と続けられ、1960年代に地元民の熱意により現代的なイベントとして復活した。現在は「コッツウォルズ・オリンピック」としてほぼ毎年開催されている。昨夏も開かれたが、今年はコロナのために中止。しかし来年は410周年記念の特別大会として6月3日(金)に開催予定だそうだ。

参考サイト:Robert Dover’s Cotswold Olimpick Games

ザ・マン・インスティテュート

<The Mann Institute> モートン・イン・マーシュに、ロンドン/オックスフォード方面から車で訪れると、町の中心に近づくにつれ、いくつかの歴史的建造物が目に入る。ザ・マン・インスティテュートもその一つである。

The Mann Institute

1891年に労働者のクラブ(社交場・教育施設)として設立されたもので、当初は集会ホール、読書室、ビリヤード室などが入っていた。2階から上の部分は、夏の間、恵まれない女性のための宿泊施設として慈善団体が使用していたという。

ザ・マン・インスティテュートの名称は、マン(Mann)家に由来する。この建物を建てたエディス・マン(Edith Mann)という女性は、医師ジョン・マン(John Mann)の娘であり、また会衆派(プロテスタントの一派)の牧師だった同名のジョン・マンの孫娘でもあった。父ジョンの生家を、おそらくは全面改築し、労働者のための公共施設にしたものが今も残っているというわけだ。現在は、ある建築事務所のオフィスになっている。

町のシンボル的な建物の一つであるが、私が特に気に入っているのは、幹線道路に面した南壁の大きな扉の上部に刻まれている一つの文である。

南側の壁。中央にJohn Mannの飾り板、左端の白い扉の上にRuskinの一文を記した石板がはめこまれている。
医師 John Mannを記念する飾り板 
“EVERY NOBLE LIFE LEAVES THE FIBRE OF IT INTERWOVEN FOR EVER IN THE WORK OF THE WORLD
RUSKIN”

これは、19世紀の美術評論家・社会思想家、ジョン・ラスキン(John Ruskin, 1819-1900)が著した植物に関する本の中に出てくる一文である。日本語に訳せば、「あらゆる尊い命が、微小な繊維を残しながら、この世界に永々と紡ぎ込まれていく」というような意味である。

この石板が、この建物に最初からはめ込まれていたのかどうかは分からない。しかしもしもそうだとすれば、労働者クラブを訪れた男たちがきっと目にしていただろうし、不遇の女たちも、夏のひと時をここで過ごしながら、この一文を見上げることもあっただろう。彼ら・彼女らは文字が読めなかったかもしれないが、誰かが代わりに読み上げるのを聞き、ふと心を揺さぶられた人もいたのではないかと思う。

参考資料:
Mark Turner, Moreton-In-Marsh through Time (Stroud, Gloucestershire: Amberley Publishing, 2018)

John Ruskin, PROSERPINA. Studies of Wayside Flowers, While the Air was Yet Pure Among the Alps, and in the Scotland and England Which My Father Knew, Volume 1 (New York: John Wiley & Sons, 1888)

ワクチンはいつ受けられるか

<When Will I Get the Vaccine?> 前回からだいぶ間が空いてしまった。仕事(在宅で翻訳)と、子供のホームスクーリングの手伝いと、家族3人の3度の食事の支度で、気がつくと一日が終わってしまう。もう2月も半ばに近い。

ロックダウン生活も6週目になった。自分や家族が健康である限りは、それほど苦痛ではないもの、不要不急の外出ができず、友人とも会えず、24時間家の中で家族と過ごし続ける状態が少々しんどくなってきた。昨日も今日も似たような日々の繰り返し。食卓の会話も、誰もネタがないので続かない。一日中やることはあり忙しいので、退屈というのとは違うが、張り合いがなくて、単調すぎて、うんざりする。まだしばらくは我慢するしかなさそうだが、つい明るい希望を探したくなる。

イギリス国内のワクチン接種が順調に進んでいることは一つの救いだ。BBCのニュース記事によれば、今日までに1300万人以上が接種を受けたそうだ。最もリスクが高い70代以上の高齢者、介護施設居住者と職員、重大な基礎疾患のある人たちへの接種があと一週間ほどで完了する予定で、その後は順次対象年齢が下がっていき、5月初めまでに50代以上が、そしてさらに警察官や学校教員が接種を受けられるようになるという。先月政府が発表した計画どおりである(「ワクチン接種キャンペーン」)。

ワクチン接種済みの集団が増えていっても、ロックダウンやその他の規制が緩和・解除されるかどうかはまた別の問題だが、それでも、ワクチンさえ打てば少しは自由になれるような気がしてしまう。私は50代前半なので、本格的な春が訪れる5月には免疫力が大幅にアップしているはず。ほとんど元の生活に戻れるのではないか・・・と、祈るような気持ちでいる。

スコットランドはどうなるのか

<What Will Happen to Scotland?> 昨日1月25日はスコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズの生誕日だった。毎年、これを祝うバーンズナイトが催され、スコットランドほど盛大ではないものの、イングランドでもハギス(haggis—羊の臓物の腸詰め)を食べたり、スコッチウイスキーを飲んだりして、なんとなく彼の国に思いを馳せる日となっている。我が家も昨日の夕ご飯は、ハギスと、ニープス&タティー(neeps & tatties—カブの一種のスウィードとジャガイモで作る付け合わせ)だった。味がしっかりしていて体も温まる、栄養満点のスコットランド料理である。

しかし現在、スコットランド情勢は穏やかでない。長年分離主義を掲げてきたスコットランドで、独立を支持する意見がいっそう強まっている。スコットランド国民党党首でスコットランド自治政府首相のニコラ・スタージョンが、独立を問うスコットランド住民投票を再度実施すると宣言している。

先週土曜日のタイムズ紙では、イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドのそれぞれで実施された最近の世論調査の結果が報じられた(”Union in crisis as polls reveal voters want referendum on Scottish independence and united Irelan“)。調査の質問は多角的で、北アイルランドの結果も含め、見逃せないポイントがいくつも浮かび上がったが、ここではスコットランドに話をしぼってみたい。

調査によれば、スコットランド住民の間で、スコットランド独立に対する支持は49%で、反対は44%だった。また今後5年間の住民投票の実施については、支持が50%、反対が43%であり、今後10年以内にスコットランドが独立する可能性については、「可能性あり」が49%、「なし」が30%となった。つまり全体として、スコットランド住民のほぼ半数が、スコットランド独立を支持し、そのために5年以内の住民投票実施を支持し、10年以内に独立する可能性があると考えていることになる。独立反対派もそれなりに多いが、独立する可能性について「なし」派は「あり」派よりもぐっと少なく、反対派でもかなりの割合が独立という将来を予想している様子がうかがえる。

よく言われるように、スコットランド独立論の高まりは、ブレグジットの後遺症の一つである。スコットランドではEU残留派の方が強かったため、イングランド主導で無理やり離脱させられたとの不満が強い。EU離脱を焦点とした2016年国民投票に先立つ2014年に、スコットランド独立を問うスコットランド住民投票が実施されたが、その時は連合王国残留派が55%以上という明白な結果が出た。ロンドンのイギリス政府は、「一世代で一度限り」の了解のもとに実施したこの2014年住民投票の結果を重視して、スコットランド問題は(少なくとも当面は)決着がついたとの立場をとっており、近い将来に再度住民投票を実施することはないとジョンソン首相も明言している。しかし独立支持派に言わせれば、ブレグジットで連合王国の基本的前提が変わり、しかもそれはスコットランド人の意思を無視して強行されたのだから、住民投票を改めて行うのは正当だということになる。

今年5月に予定されているスコットランド自治議会選挙では、スコットランド国民党が議席を伸ばし、全129議席中70議席をとると予想されている。スタージョン首相は、国民党が勝利すれば、それはスコットランド人が住民投票の再実施を支持したことを意味すると述べた。住民投票は中央政府の承認がなければ非合法だが、国民党は、承認のあるなしにかかわらずこれを決行する姿勢である。山猫ストならぬ山猫レファレンダムである。

スコットランド国民党がこれほど勢力を伸ばし、これほど強気なのは、ブレグジットのほかにもいろいろ理由がある。一つは党首スタージョンの人気である。スコットランド・ナショナリズムを奉じる叩き上げの政治家であり、比較的若く(50歳)、フェミニストとしても知られる女性であることが、若い世代を中心にアピールする要因となっている。前党首・首相のアレックス・サーモンドがいかにも「おっさん」だったのとは大きく違う(実際にサーモンドは住民投票の敗北で首相を辞めた後、セクハラ・強姦容疑のスキャンダルでイメージが失墜した)。独立スコットランドが、小さくとも環境や人権に配慮し、公正で、平和で、進歩的な国になるというビジョンを、スタージョンは体現していると言われる。

しかも敵がボリス・ジョンソンである。ジョンソンはスコットランドだけでなくイギリス全体で概して嫌われ者で、彼をおおっぴらに褒めるコメントは保守党内部からもあまり出てこない。一般人の間では、EU残留派にとっては言わずもがな、離脱派ですら「ボリスは人間的には嫌いだけれど」と前置きしない限り、良いことの一つも言えないような政治家である。(もっとも私自身は、好きでも嫌いでもなく、あまりに世間の点が辛いので、もう少し評価できるところも見てバランスをとる必要があるだろうと考えている。確かに政策の一貫性に欠けるところがあるかもしれないが、民意を読めない政治家では困るし、教条的であるよりはよほどいい。伝えられるところの私生活上のだらしなさも、政治家として力量があるならどうでもいいことだ。そして何よりも、あらゆる方面から絶対に無理だと言われてきた協定付きのEU離脱をまがりなりにも実現したことは、もっと重視されるべきだと思う。)ともあれ、「嘘つきで信用ならない傲慢なジョンソン」vs「スコットランドの正義のために戦うスタージョン」という対決的な図式が、左派メディアを中心に出来上がってしまっている。スコットランド国民党は有権者に「ニコラか、ボリスか」と迫るイメージ戦を展開するだろう。

しかしもちろん、問題はパーソナリティの違いだけではない。スコットランド国民党の伸長の背景には、労働党の凋落がある。スコットランドでは伝統的に労働党を支持してきた層が国民党支持へと大きく流れてしまった。そして労働党の凋落はイギリス全体の現象であり、この点を合わせて見ない限りスコットランドの事情もよく理解できないままになると思う。長くなったので続きはまた。